キャッチボール


~おんちゃんししょう報告~

今日の活動のなかで、ある小学生の女の子とお話することが出来ました。

その子は、妹さんを震災で亡くされました。
そのことは本人から直接聞いてはいなくて、周りの方々から話を聞いておりました。

私も、にじいろ活動でその子とは何回か会ってはおりましたし、会話もしておりました。
いままで、こちらからは妹さんのことについては触れないようにしておりました。

今日、その子とキャッチボールをして遊んで、少し休憩して、おしゃべりしたときのこと。
本でみたよって言ってくれました。
以前出版された『ふたたび、ここから 東日本大震災・石巻の人たちの50日間』という
本のなかで私たちの活動が紹介されており、このブログにある「命のつかいみち」のことや、
震災当日のことや、にじいろクレヨンのことが書かれています。
それを読んだのでしょう。
そこには私の悲しみや苦しみや楽しみやいろいろ書いてあるのですが、
どこを読んで言ってくれたのかわかりませんが、一言、『気持ちがわかった』って言って、
またキャッチボールを再開してくれました。
なんだかわかりませんが、私はキャッチボールしながら泣きそうになりました。
人がたくさんいて、恥ずかしいから涙は出しませんでしたが、実は泣いていました。
キャッチボールでごまかしました。思いっきり高くなげたりして。体を目一杯使って。
哀しいんだか、うれしいんだか、なんだかわけがわからなくなりました。

活動を終え、いま帰ってきて、冷静になって振り返ってみると、
やっぱり私は子どもたちに癒されながら生きているんだと思いました。
やっぱり私は子どもたちに成長させてもらっているんだと思いました。


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キャッチボール への4件のフィードバック

  1. やすこ のコメント:

    子どもたちがわたしたち大人に与えてくれる力は大きいものなんですね[E:shine]
    逆に子どもにとって柴田先生の力や言葉,にじいろクレヨンの活動は大きなものになっているのだと思います[E:delicious][E:tulip]

  2. y.s のコメント:

    お互いがお互いを思い合い、過ごし、共有した時間。その中で気持ちの奥に流れる底流のように深い場所で、おんちゃんししょうと女の子の互いを思う気持ちが通じ合った瞬間だったのかもしれませんね。
    自分の気持ちの底流の流れに他人の底流が通じ、わずかでも他の流れが注がれることなど普段は想像だにしないことなので、わけのわからない感情がおんちゃんししょうを良い意味で揺さぶったのかもしれませんね。
    おんちゃんししょうが癒され、成長させられていると思うのと同じくらい、女の子も『気持ちがわかった』とおんちゃんししょうに言葉として告げる事が出来た事で、癒され、成長したのではないかと思っています。何故って気持ちが通じたのですから!
    本当は僕にとってはコメントできないくらい深い体験(この言葉すら軽く感じる)だと思います。
    でも僕にできる事はブログにコメントをし続けてエールを送る事くらいしかできないので、駄文失礼致しました。

  3. あきぽんAKIPON のコメント:

    この記事を読んで、なんだか私も胸がいっぱいになってしまいました。
    話されたことばは少なくても、お互いの気持ちをお互いが思っているんですね。
    大震災の現場に居合わせて、それぞれにいろんな体験をし、 今も辛い思いを乗り越えて日々を過ごされているのだとわかります。 
    この本も読みました、報道ではわからないことが沢山ありました。
    一人ひとりが心に背負った辛い思い、これが軽くなる時まで 私たちはみんなで支えようという気持ちを忘れてはいけないんだなぁと思いました。

  4. tihi のコメント:

    おんちゃんししょう
    よかったね。彼女とキャッチボールできて。
    きょうが、あって、よかったね。

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